欲を言えば、国立大学の独立行政法人化や新学習指導要領の問題点、公立の中高一貫校や義務教育での学校選択の問題などにまで論点を広げ、具体的な改革項目について各党の違いに迫ってほしかった。
政策の立案をめぐって、官僚主導から政治主導へと言われる割には、教育問題に関する政治家や政党の主張は、抽象的な理想論や精神論に終わることが多い。
もともと教育の議論は理想論になりやすく、それだけに、選挙になると、誰もが反対しにくい心地よいスローガンが、有権者の歓心を買う。
その結果、改革の具体策は、ほとんど国民の審判を仰ぐ機会もないままに、M部省主導で実施に移されることになる。
だが、少人数学級の問題のように、どの党も選挙のたびに一様に提唱するのに一向に実現しないのは、財源や実施方法も含めた具体策を詰めないままのスローガンに終始し、「政策」にまで練り上げていないからだ。
教育現場ではいま、学力低下が叫ばれる中で、基礎基本を重視しながら総合的な学習の時間への対応か迫られている。
この難題に具体的にこたえる施策が示されなければ、どの党が勝とうと、行政を、特に財政当局を動かす力にならない。
私たち自身が、ステレオタイプの見方で教育問題を考えることをやめ、具体的な争点を見極めようとしない限り、選挙での教育論争の不毛は終わらないのだろう。
新聞に期待したのは、実現可能性までを視野に入れ、表面的なスローガンの陰に隠れた各党の政策立案能力の違いを読者にわかりやすく示すことだった。
きれいな公約を比べるだけでは官主導の教育政策は変わらないし、政策の点検もままならないからだ。
それだけに、新聞は、選挙か終わっても、残された教育の課題の広さと重さを教育現場に密着して報道し続けていってほしい。
2000年夏、留学先だったアメリカ中西部の大学街にしばらく滞在した。
その地で、日本とアメリカのメディアに表れる教育の論じ方の違いを考えた。
アメリカは大統領選挙の年である。
テレビでも新聞でも、候補者の舌戦が繰り広げられている。
経済の好況を背景に、財政の黒字分をどこに振り向けるかが選挙のひとつの争点で、その振り向け先として教育が挙げられる。
メディアを通じて、教育の重要性が強調されている。
例えば、民主党大会の応援演説では、「今後の政策で3つの重要な対象がある。
第1に教育、第2に教育、第3に教育だ」と熱弁がふるわれた。
Bレア英首相の有名なフレーズの借用だ。
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